他人の痛みが分からない者ほど、表現の自由の絶対性を主張するような気がする。<元検弁護士のつぶやき>

お隣の国の話ですけど

韓国:大金寄付の女優 またネットで批判の嵐(毎日新聞 2008年11月20日 10時16分(最終更新 11月20日 17時37分))

 19日付の朝鮮日報は「寄付天使に向けられた悪質批判」との社説を掲載し、「無責任なネット暴力を追放するための措置が必要だ」と訴えた。

 他人の痛みが分からない者ほど、表現の自由の絶対性を主張するような気がする。

 その結果、表現の自由がどうなるかを考えることもない。

 匿名の表現者個人が責任追及を免れたとしても、全体の表現の自由に対する危機は生じ得る。
 つまり、公の場で発言する者は、必然的に社会的存在になるのであって、当然社会的責任を負うことになる。
 しかし、問題はその責任追及の方法だが、個々の発言を公的機関が責任を問うことは困難だし、
 公的機関が個々の発言の責任を問うことを可能にするということは、表現の自由に対する重大な侵害を是認することにほかならない。

 となると、社会的責任を負う発言(要するにネットの発言は全て)に対しては、個々人の集合たる社会が抑止力を発揮しなければならないと考える。

 小難しく書いてますが、攻撃の対象になった者はスルーが最適な対応と思いますけど、スルーしているからといって傷ついていないわけではありませんから、時と場合によっては匿名の攻撃者たちに対して匿名の擁護者たちが現れる必要があるのではないかということです。

 そうしないと、国家権力が弱者保護の名目で表現の自由に介入してくるかも知れませんよ。
 そして、いかなる名目の介入であろうと、それは間違いなく蟻の一穴になると思います。

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モトケン (2008年11月20日 21:04) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:お隣の国の話ですけど – 元検弁護士のつぶやき

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